JSAI2017での発表が炎上している件についての私見。
2017年度 人工知能学会全国大会(JSAI2017)で行われたある発表が炎上しているのを観測している。祭りごとが好きな性分なので基本的に炎上はたーのしー!もっとドンパチやれーと思って眺めているのだけれど、思ったより泥沼になっていてつらい気がしたのでまとめつつ私見を書くことにした。
思うところは基本的にTwitterにぼちぼち書いていたので、それらを載せつつ適宜文章を補う形で書いていこうと思う。
経緯
まず今回の炎上の経緯を簡単にまとめる。
- JSAI2017で近江らにより「ドメインにより意味が変化する単語に着目した猥褻な表現のフィルタリング」という発表がなされた。この論文はPDFとしてWeb上でも公開された(現在は非公開: 後述)。
- (2017/5/24夜ごろ)論文中では、pixivより10個のR-18小説を選び、猥褻な表現に関する文を抽出し分類していた。選んだ10個の作品については「URL」、「作者名」、「小ジャンル(ノーマルラブ/ボーイズラブのどちらか)」を表として掲載していた。
- 小説の作者ら複数がTwitter上で自らの小説が無断で利用されたことを抗議し、また小説を削除、あるいはマイピク[1]のみへの公開とした。
- (207/5/25朝)JSAI2017のWebサイト上からPDFが削除され「※例外的に発表原稿を非公開としました。」との説明が掲載された。
3以降、二次創作周辺のコミュニティと研究者コミュニティを中心として議論が紛糾し今に至る。
私見
今回の問題は、単に「作者名を出して不特定多数に対し作品(小説や論文その他)を公開すること」に関する認識の衝突が以下のように起こったようだけに感じる。ブログ書いてたり論文書いてたりするとつい忘れがちなんだけど、世の中にはWebに閲覧制限をかけずに情報を公開するものの、不特定多数に見てほしいわけではなく、むしろ見てほしくない人たちが一定数存在することを認識しないと事故る。
— 🍚の上に🐟を乗せたフレンズ (@mecab) 2017年5月24日
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研究者コミュニティ: 論文であれWebであれ、不特定多数から見られ、批評を受けることを前提として作品を作る。批判を含め、自分の名前込みで引用されることは名誉 [2]。万人に見てほしい。
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女性向け二次創作コミュニティ [3]: 作品は同じコミュニティや、同じ文化を共有する人にのみ見てほしい。Web上で、たとえ形式的に不特定多数に公開されていたとしても万人に見てほしいというわけではない。こっそり身内のみで楽しんでいたい。
予想以上に泥沼になっていて面白いのだけど、個人的には「不文律を知らず配慮が足りなかったかもしれん。すまんかった。」「ええんやで。」で終わっていいやろこんなん。くらいの認識でいる。
— 🍚の上に🐟を乗せたフレンズ (@mecab) 2017年5月25日
今回の問題で、論文の著者らが、法的に不適当とされる引用、またはデータの公開をしたかというとそうでは無いと思う。一方、著者らに全く非が無かったかというとそうではなく、研究対象の文化を考えたときに配慮が足りなかったといえるかもしれない。当該の表は無かったとしても議論の内容に影響を及ぼさないと思うので、載せないか、あるいは許可を取ってからにするという選択肢はあっただろう。
とはいえ、おそらく著者らとしても小説の作者を傷つける意図は無かったと思われるので、謝罪と必要があれば論文の取り下げか差し替えをして、それでお互い丸く収めて、これから同様の対象を取り扱う際にどうするべきかをみんなで考えるのが、みんな幸せになる道なのではないかと思う。(久々にエモいことを書いてしまった。)
当然作者らにはそうしない自由がある。
適切でない引用をしてるわけじゃないし(というか引用じゃないし)公表する自由はあるし、それに対して不快感を表明する自由はあると思うしバチバチやればいいと思うんだけど、無断引用とか、論文の質とか変なとこから攻めて泥沼になるのはお互い不幸なんじゃないですかね。(それがインターネット!)
— 🍚の上に🐟を乗せたフレンズ (@mecab) 2017年5月24日
今回は文化の衝突の結果悲しいことになっているわけだけど、もし法的な話になった場合、二次創作コミュニティとしては残念なことに、おそらく現行法は研究者側に味方する気がする
これを踏まえると、もし著者らや研究者コミュニティに対して不満を表明するのならば、自分たちの文化を理解してもらえるように進めるのが早くて、変に法や明文化された倫理規定、あるいは論文の質の点で攻撃して泥沼にさらに足を踏み入れることは避けたほうが良いと思う[4]。
難しいところとこれから
被験者実験と違って、Web上のものは本を出版するのと同じく(見てほしくて)意図的に公開してる訳だからかき集めて使って良いやろというスタンスな気がする。ただ言われてみれば確かにSNS上の発言はその辺の人の会話を録音したものと変わらないのではというのはあるなー。
— 🍚の上に🐟を乗せたフレンズ (@mecab) 2017年5月24日
ぼくたちの感覚からいくと、Web上での発信物は誰でも見れるわけだし、書籍と同じように適切に引用すれば自由に引用していいやろという気はする。しかしSNS上の発言については形式的に不特定多数に公開されていても、本人の感覚としては身内のみでのやりとりのつもりだということは多くあるような気がする。
SNS上の発言は民俗学のフィールドワークのようなもので、地域住民のプライバシーが守られるようにしないといけないというTweetを見かけて、これはなるほど思ったのだが、消えてしまったようなのが残念だ。
第2条[研究・教育活動の倫理的妥当性]
民俗学は人間そのものを対象としているため、研究・教育・学会活動などにおいては、その社会的影響とともに倫理的妥当性について配慮しなければならない。
特に現地調査においては、研究の方法、内容、成果公表のいずれもが調査対象者および当該社会との合意にもとづき行われるよう十分配慮すべきである。
@ceekzさんの指針も参考になる。
ウェブのデータを使う僕としては、個別の生データを示し、それに対しての解釈を記録として残るように明示するのは控えてたり。(そうしなければらいけない必然性が低いので)
— 吉田光男, Ph.D.; bot (@ceekz) 2017年5月24日
以上私見だった。本当はTwitterで二次創作コミュニティ側から見られるの批判の問題点を指摘し、同時に論文のなにが問題だったかを明らかにしようと思っていたのだが文章力が足りずにまとまらなかった。気が向いたら書くかもしれない。